全自動感動ゾンビ…のフリして生き延びろ

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「これを胸に付け、
キリキリ回せば、どんな気分にもなれるそうだ
お電話からの勧誘に答えれば、誰でも!
付けてさえいれば、何をしていても至福」


「被験者は、隔離ですか?」
「何するか分らんからな」

(ミッションちゃんの大冒険 / 模造クリスタル)

 

 

・……

 

 

・大人気シリーズの、最新作の映画。つい昨日観たんだけど。
初見の感想では、本当に、もう、本当にただただ、感動アルゴリズムのキメラにしか見えなくて。
こんなことで人間が、かけがえのない人間が、ちゃんと感動できてしまうなら、
もう、わたしが生きてまで作品作ってもさあ、もう、ぐらい塞いだ気持ちになってしまった。


でも、ここで安易にネットで批判なんか検索して納得してしまったりしたら、その行為自体が、わたしがどうしても支持できないこと(人類全自動感動ゾンビ化)への支持になるから、なんかもう家族に聞くぐらいしかできず。


なのに家族は、みんななんだか、
「映画なんて娯楽なんだからさ……」
「演出には夢があったし、児童向け作品なんだからそれでいいでしょ」
みたいな感じで。
うっそだろ、映画だからこそ、児童向けだからこそ、……(モンスター部外者)。


などとマジレスしすぎたせいで、じゃあお前が作ればいいじゃん!という話になったんだけど、
いや、あの、
作ってんだけど!?!?!?!?
とはいえ世間様にしてみたらそれも負け犬の遠吠えにしか見えないことを、わたしは理解しています。


かつて目の前にした、「大衆はばかだからおれの作品の高尚さがわからない」とか本気で愚痴ってる30代。
めっちゃショックだったけど、今のわたしと何が違うんでしょう。
強いて言えば、わたしは、みなさんすごく頭が良くて、しっかり考えていて、聡いのだ、ということを知っていて。
でも、だから、あまりにも、寂しい。

 


・ああ、わたしが愛した人類よ、その魂よ。
みんなAIに乗っ取られて、脳への最適当な刺激でまんまと感動させられるだけの、ゾンビになっちゃったのかなあ。
最大多数の最大幸福の実現がもたらした、誰も生きてはいない都市。
核戦争で人類が滅んだ後の地上を美しい音楽が彩ります。全自動のディスクジョッキー、全自動の作曲家、全自動で紡がれる詩。
SFじゃないんです。地上は、もう、そうなんです。


いやむしろ、主体的な選択なんてものが可能なのだと頑なに信じてきた、こちらがどうかしていたのかもしれない。
授業でマインドマップを書かされた日、わたし気付いてしまったんです。
肉の体も肉の脳も、何一つわたしであることの根拠にはなってくれない。
すべて、すべて、すべて、
わたしが自由意志だと信じていたすべてが、所詮はルーツの眷属としての……

 


・>
私にできることができるやつは他にいくらでもいるってなった上で、
あの道も誰かきた道この道も誰かきた道ってなった上で、
それでも、裏でも表でもない面が出ることを期待して
コインを永遠に投げ続けることが私にはできる。生きてまで。

バカに生まれて本当によかった!
(過去の日記 2020年1月9日)

 


・一夜が明けて、また映画について考えていた。
管理された美しい街並みを保持するため、然るべくして、自由に自由を謳歌していた落書きが、インターネットというアンダーグラウンド(だとわたしは感じている)へ潜っていく。
こと児童に対して語る者にとって、ことクリエイターにとって、そのテーマはあまりにも切実だ。目の前にあり触ることができるこの街さえ、もはや人間のためではなく街のために存在する。命そのものが完璧に管理されつつあるこの善意の殺戮に対して、どう向き合うのか。


映画そのものが二重構造だ。
わたしたちは管理される。
物語の人々は、落書きひとつない美しい街に暮らす。
この映画は、最適化された全自動の感動を与える。


「でも、それでいいのか?」


冷静に考えればそもそも、
現実がけっこう未曾有の事態すぎますし、何もかも滅茶苦茶な時代である。
その中で、それでもフィクションを描くことの意味を、どう見つけるのか。
そして、そこに結論を出してしまうことがどんなに難しいか。
痛いほどわかる。たぶん、わたしが闘ってきたのも同じことだから。


まだ模索しているんだろう、きっと彼らも。


わかりやすい結論をくれ、そして救ってくれ。
わたしが勝手に期待して、納得のいくアンサーを得られずに、
「なんなんだよ!」とか感じてしまった態度それ自体が、
映画の中で批判されていた「無責任な大人」そのものだ。


では、わたしには何ができるのか?


時間をかけて考えていると、
あえて露骨な感動アルゴリズムで誤魔化されたほんとうの構造と、そこにある剥き出しの思想が見えてくる。
わたしがモヤモヤしたのは、全部があまりにも剥き出しで、それを物語に落とし込めてはいなかったこと。
でも、観ることができてよかった、この映画が存在してくれてよかった。この映画が今作られたことに、希望を感じる。

きっと、本当に、「まだ間に合うんです」。

 


・>
「まだ間に合うんだ!ラクガキすれば、キングダムも春日部も助かるんだ」
(映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者)

 


ここまで読んでくれた人にだけ、作品名を伝えます。
『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』です。
面白かったよ。わたしは、読み取るのに時間がかかったけど…。

 


・わたしに何ができるのか。


喜びの日と、悲しみの日を、それでもちゃんと繰り返すこと、
それから、全自動感動ゾンビに、なったフリをすること。
そのことが、必要なのだ。生き延びるために。


誕生日までの小休止。
これが終わったら、また働かなければならない。
わたしがするべき仕事をしよう。仕事なら、山ほどある。

 


・>
「いつまでも世の中の恐怖に屈してはならぬ」
「人の甘えでしかないが法も必要である」
「しかし、あらゆる苦しみも受け止める心が必要なのも事実である」
 
「エチオピクスダイヤル……君はどうする?」
「いえ…遠慮します」
(ミッションちゃんの大冒険 / 模造クリスタル)